Cobolerの実験場

書きたくなった文章を置きに来る場所

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』推しが空中殺法をキメた日

f:id:Coboler:20211107204001j:plain

つい描いてしまったファンアート

 今回の記事は一応ネタバレに配慮していて、ほとんどの内容はふわっとした感想と個人の体験談だ。後半にある警告文以下からは原作上巻と映画のネタバレが多少あるが、原作の中~下巻の内容には触れていない。

はじめに

 閃ハサが好きすぎて、正直言って狂っていた。

 閃ハサがきっかけでガンオタになってから早20年。推しが映画で初主演して世間が妙に盛り上がった記念に、ファンとして何かブログに記事を上げておきたい。そうは思った。しかし、好きすぎるゆえの問題にぶち当たった。

 私はここ数年の間で映画鑑賞にハマり、まあまあハイペースで映画を見続ける生活を続けていた。その中で作品に対するクソデカ感情をブログに書き出し、自分で読み返した時に面白がれる程度の文章にする力はついてきたと思っていた。しかし閃ハサ映画については、興奮しすぎて文章を書ける精神状態ではなくなっており、色々無理だった。

 この感動をなんとか文字にしなければならない。推しに狂ってのたうち回った記録を今残しておかなければ、後で読み返すこともできずに苦しみ損ではないか。書き出したらこの熱狂の正体が理解できるかもしれないのに、語彙力が…表現力が死んでいる!いや違ぇんだ!今は文字書いてる場合じゃねえ!!とか思いながらひたすら混乱していた。

 そんな調子で6月頃は本当に何も言葉にならず、SNS上で見かけたこの映画の感想に自分の気持ちを説明してもらった気持ちになるだけの日が続いた。しかしあるシーンがきっかけで、やっと自分の言葉で感想を言えるようになった。

推しが空中殺法をキメた日

 で、何がきっかけで言葉を取り戻したのか。そのシーンは冒頭15分以内にあるので、この公式動画の12:45くらいから見れる。

 まあ見ていってくださいよ冒頭から!お願いします!


www.youtube.com

 おわかり頂けただろうか…!?

  いや私も、最初に見たときは気が付かなかった。えっ、何かすごいことしてない?とは思ったが、次々と見せ場がある映画なので忘れてしまったからだ。後日見つけた海外のガンオタのツイートで、私はこのシーンを思い出してびっくりした。ハサウェイがすごいプロレス技キメてたじゃねーか!!!…と。

 海外のガンオタ、いやむしろプロレスオタクいわく、これは腕固めリバースDDT(デスティーノ)という技だと。新日時代の中邑真輔かよ!と興奮気味に紹介してくださっていた。イヤァオ!!

 いやー、すごいわ。こんなのメジャー団体の上手いレスラーでもなきゃ、とっさにできない技じゃないですか?しかも路上で!銃を持った相手に!技をかけた方もダメージを受けてるはずだし、後先考えてねぇ感がすごいじゃない。
 原作にこんなシーンあった!?それが、水平方向に回転するタイプのプロレス技になるとはね!!!?新規作画でアムロの巴投げが鮮やかに蘇ったと思ったら、それとは回転軸が違うワザをキメるとは!!!いや〜映画化ってすごいなぁ!想像を絶する解釈やわ!

 私はさらに混乱した。あまりにも丁寧に作られたこの映画について、この時まではエモいとかバエるとかサントラが良いとか、そんな当たり前の感想を一言くらいしか言えずにいたからだ。

 しかし、しかしである。このプロレス技について、公式との解釈違いをちょっとだけ感じた結果、堰を切ったように言葉が溢れてくることにびっくりした。私が食いつくのは、結局こういう部分なんじゃねーか!と。そう思って、笑ってしまった。そして、無性にプロレスを見たくなった。

 推しが腕固めリバースDDTをキメたから、今日は空中殺法記念日。今回はそういうノリで、この作品の何がそんなに魅力的なのか、自分で理解するために書いた記事である。なお記事タイトルは「推しが空中殺法をキメた日」としたが、コーナーやロープの上から跳んではいないので厳密には空中殺法じゃなくね?とは思ったんだけど、まあ空中戦してるし良いか…と思ってそのままにした。

第一印象

 まずは映画の第一印象の話から始めよう。開始10秒以内に松竹のロゴが出てくるが、この時の音だけで普通じゃない映画の始まりを予感し、多分これは私の好きなヤツだ!と確信した。そして本編は想像の10倍くらい良くて、憂き世の全てを忘れた。

 「半端な映画化を見せられたら憤死するかもしれん、でもGジェネペーネロペーとハサウェイとあとレーンにも世話になった義理があるからと思って、決死の覚悟で見に行ったってのに…!」とか当時ツイートしているが、閃ハサの映画化が発表された2018年当時から公開までの間は、この映画化の話は忘れよう!と思うことで精神を安定させていたくらい怖かった。

 予告も冒頭15分動画も全く見ていなかった状態からあのクオリティの映像を見せられたら、まともな感想が書けなくなるくらい感動してしまうのは納得だ。そしてその感動を自分の言葉にできなかったと。

 ストーリー以外の良かったと思えた演出をふわっと書き出すと、こんな感じになる。とはいえこんな話はみんな言ってることなので、この箇条書きのセクションは読み飛ばしてもらっても全然大丈夫だ。

  • 海外旅行に行ってきたような気持ちになった。
    とりあえずこの飛行機、空港、ホテル、植物園、土産物屋という流れから旅行に行ってきたような気持になれた。『太陽がいっぱい』を見て、イタリア旅行に行ってきたような錯覚を覚えたあの気持ち。これはまさしく、滅多にない良い観光ムービー!飛行機はハイジャックされるしホテルは…なんだけど。
  • 1シーン辺りの功夫がすごい。
    めっちゃ動いてるし、キャラクターの所作へのこだわりもすごい。私はC級映画を色々見続けてしまったせいで、ジャンルや製作年代にかかわらず1シーンあたりにかけられた映像のコストを気にするようになってしまった。その点今回の映画は、最初から最後まで手間と技術とこだわりに圧倒され続けることができる。なんてハイカロリーなんだ!
  • 劇伴が超いい。
    ここで?というタイミングで気分がアガる曲が流れていて、初見ではそのアンバランスな感覚がとても新鮮だった。使い方が上手だし、曲自体も良い。すぐサントラを買ってヘビロテした。
  • ギギの魔性の表現方法。
    青い瞳のハイライトにオレンジ色が入っていて、こんな色をした目、見たことない…!という驚きから目をガン見してしまう。ツイッターでは「勃起した」という感想がバズっていたが、ただエロいだけではなくて、普通じゃないオーラの表現力がすごいと思った。
  • 原作の再現度が高い。
    原作本を何度か読んで脳内にインストールしたぶんは確実に再現されていて、違和感が全くなかった。あらためて読み返してみたら細かいところは違ってたりするんだけど、エッセンスが確実に再現されている。愛がある!

 ああ、これがデカ・バジェ・ムービー*1…!私は幸福なアトモスフィアに包まれ、すごいものを見てしまった!とひたすら感動した。義理で見に行ったつもりが、熱狂して帰ってくることになるとは完全に予想外だったのだ。札ビンタを浴びただけでも全然満足度が高くて、さらに原作の再現度も良いとくれば、もう昔ハマった当時の熱量を思い出して安心しきってしまった。

 しかし、その熱狂によって私は「これからが地獄だぞ」な展開に入っていく。

生活への影響

 私はこのコロナ禍の色々の影響から、心身の不調を自覚することが多くなっていた。そんな時に降って湧いたこの閃ハサフィーバーが、弱った精神を更にゲボゲボにふやかし、判断力と現実感を低下させていった。

 特に怖かったのは、今まで通り映画を見ていたら、途中で急に「やっぱ閃ハサのほうが良くね?」と思いつくような状態がけっこう長く続いたことだ。この文章を書き始めた9月頭の時点でも、そんな状態になっていた。これには映画オタクとして危機感を抱かざるを得なかった。

 で、友達と週イチくらいのペースで開催している遠隔同時映画上映会で『ハーモニー』を見たとき、特に深刻なインシデントが発生した。

 この映画には、ヒロイン(?)の御冷ミァハ役で上田麗奈が出演している。つまり、ギギの声で「言葉で人を殺すことができる」とか「私と一緒に、死ぬ気ある?」なんて言われるんだ。


www.youtube.com

 サイバーパンク世界で闇堕ちしたギギがいる。そうとしか考えられなくなり、もはや私は正気を維持できなかった。その世界観に圧倒されながら最後まで見たあと、「すごく良かった!」の二言目に「ほぼ閃ハサだった…」とか言ってしまい、伊藤計劃ファンの友達からドン引きされたわけである。その節は本当に申し訳ありませんでした!!*2

movie-tsutaya.tsite.jp

 映画を見ながら集中力が切れた瞬間を自覚できるって意味でも、とても我慢できない。映画以外にしても、それはそれ、これはこれで作品を楽しむことができなくなるのはマズい。そして次第に森羅万象のすべてが閃ハサに関係あるかのような錯覚をするようになり、自分が完全におかしくなっていると分かってきた。*3

 こんなことが数ヶ月続くと、お察しのように閃ハサフィーバーそのものの負荷によって、メンタルの具合が悪くなった。好きすぎて生きてるのが辛い。疲労困憊した限界オタクのテンプレを、実感する時がついに来てしまったのだ。自分の{好き}という感情が暴走していて、全く手がつけられない状態。その{好き}の正体が掴めない感覚も怖かった。

 テレワークで座学のOFF-JTをしている時が、特に苦しかった。推しの顔を見たい。そう思い始めたら勉強が全く手につかなくなり、次第に推しが原因で「神経が苛立つ」としか言えない状態になっていったのだ。

 それは自分の不甲斐なさへの怒りであり、決して推しが悪いわけではない。だが可愛さ余って憎さ百倍という他ない感覚ではあった。

 何というか、推しはシャブ

 ストレスが限界~~~~~!!!もう閃ハサ見に行くしかねぇ~~~~~!という思考になって映画館に救いを求めた結果、91分後には満面の笑みでイオンシネマ岡山を後にするような体験を何度かしてしまうと、実感として推しはシャブという言葉に集約された。

 感染第5波がなんだ、緊急事態宣言がなんだ、わしの脳が緊急事態なんだから不要不急じゃない!!なにはともあれ今日も推しがかわいい…とか言っていた。このご時世、推し活も命がけである。

 円盤を買うことができなかったため、映画の上映終了後には例によって禁断症状に苦しんだ。しかし円盤を買えていたとしたら、それはそれで別の苦しみかたをしたに違いない。過去記事に書いたこれみたいに、多分プレイヤーから円盤を出せなくなったりしただろう。自分のことじゃけん、だいたい分かるんよなぁ。

 今まで私はガンダムという巨大で流れの速い沼の中でも、比較的動きが少ない場所に浸かってのんびりできていたと言える。というか、新しい流れを追うのをやめていた。

 しかしこの突然の映画化のせいで、激流にのまれて今まさに溺死しかけている。戦場の外で舐めプ発言をしていたら、最前線に派遣されて地獄を見た『フルメタル・ジャケット』のジョーカー君みたいな状態だ。

ガンダムにハマった頃のこと

 この頃は多分、公式からの供給が多すぎて脳があっぷあっぷしていたんだろうな…と11月になった今なら分かる。しかし切羽詰まっていた当時の私は、20年前の状況から考えなおすことにした。

沼の入り口

 令和3年には閃ハサが初ガンダムになる人もいるんだって。すっげぇ!信じられねぇ!異常事態だ〜とか思っていたんだけど、実は私も閃ハサが初ガンダムだったことを思い出した。2001年のことだ。

 閃ハサの映画化が決まった2018年以降、私がツイッターでフォローしている先輩ガンオタ達数人から「原作を読んだのは20年前だからもう内容は忘れた」という話が聞こえてきた。原作本の上巻が発売されたのは30年前の平成元年(1989)だが、2000年頃に本を読んだらしいということだ。先輩方の記憶違いの可能性もあるが、これは多分私と同じで、閃ハサが初参戦したゲーム「SDガンダム GジェネレーションF」(2000)で作品を知って読んだ人が多いのだろう。

 当時はガンダムについてnot soミリしら状態だった弟は、このGジェネFが面白いらしいと友達から聞いて、ゲームからガンダム沼に入った。こういう、面白いらしいとジャンル外から噂になることが、布教するために大事なんだな~と今回の映画のヒットを見ていても思う。

 このゲームの分厚い攻略本は居間に置きっぱなしだったので、私も暇つぶしに掲載されている作品のタイトルや、登場するユニットの絵を見ていた。私は90年代にはカヲル君推しのエヴァオタ小学生だったので、巨大ロボットには抵抗が無かった。ガンダムってあのチャイナ服のおじいちゃんが出てくるやつじゃろ?と微妙に間違った認識を持ってはいたが、ポジティブな興味があったらしいと当時の記録にある。

f:id:Coboler:20210828173939j:plain

2011年撮影。GジェネFではなく、Gジェネスピリッツの記念写真。下から2番目のペーネロペーに乗せられているのがハサウェイ(CCAのすがた)で、上から2番目の命中率が鉄仮面の次に低いのがレーン

 GジェネFの攻略本*4は、実質的に2000年までのガンダム作品のカタログだ。その中から、「閃光のハサウェイ」っていうキラキラしたタイトルに興味を持つのは不思議なことではないと思う。気になった作品のタイトルとストーリーの印象を弟に聞いていくうちに、この閃ハサという作品は、タイトルとは裏腹な闇を抱えていることを知った。

 弟は閃ハサのあらすじをざっくり説明してくれた。主人公はテロリストで、……だと。

 この、一言でインパクト抜群のあらすじよ。私はその斬新すぎるネタバレを聞いて、もう絶対履修しようと心に決めた。まず逆シャアを見て予習をして、満を持して原作本3冊セットを買って読み、そのままずぶずぶとガンダム沼に入っていった。最低限の予習はしているあたりに、閃ハサの闇に対する期待の大きさを感じる。

悪役主人公ブーム

 気になるのは、なぜ私はあのあらすじだけで閃ハサに異様な関心を示したのかだ。

 そこで私がこの時期に履修中だった本とか映画を調べてみたところ、当時の私はシリアルキラーブームの真っ最中で悪役主人公フィーバーしていたことがすぐ分かった。

 『アメリカン・サイコ』(2000)、『羊たちの沈黙』(1991)、その続編の『ハンニバル』(2001)といったシリアルキラーものの小説や映画。それから『スター・ウォーズ エピソードⅡ クローンの攻撃』(2002)もこの時期なので、アナキン・スカイウォーカーが暗黒面に落ちる手前の様子を見て、エモいエモいと思ったりしていた。

 当時書き残した感想を読むと、板についた悪役感という言葉で閃ハサの魅力を語ることが多かったことがわかる。ハサウェイがマフティー・ナビーユ・エリンとして苛烈な言葉を発する度に、もう後戻りできない位置まで悪堕ちしとるわ〜と思うことができるのが良いと。これ、Gジェネの戦闘シーンで主人公とは思えない台詞を発して異彩を放っていた印象が強いんだろうな。

 ジェスチャーだけで相手の首を絞めるダース・ベイダーの得意技的なあれ、界隈の用語ではフォースグリップ*5っていうんだけど、スターウォーズのアニメ『スター・ウォーズ クローン・ウォーズ』で、アナキンが捕虜を尋問するのにフォースグリップをやってしまうシーンがある。そのシーンを見たときの、ウヒョー!!待ってました!とか言いながらガッツポーズをしてしまうあの感じ。あれに似ている。悪役主人公にも色々なタイプがいるけども、閃ハサを鑑賞して得られるバッダスな喜びはこの辺のキャラと共通していると思っている。

  ところで私は最近某シリアルキラードラマを見ながらつい正気に返ってしまい、どうしてこの街ではこんな悪逆無道犯罪者が次々に湧いてくるんじゃ…!死体アートの出来と動機と捕まるまでのエピソードを競いあう犯罪コンテストみたいなのが開催されとるとでもいうんか…!?と苦悩したことがある。

 だが要するに、犯罪の猟奇的さと犯人の狂気を好き好んで採点しているのは視聴者の私だったことに気づいた。倫理観のアウトさの限界を競うチキンレース。ヤバい!と思わせたら勝ちで、ないわ!と思わせたら負け。そういう競技が自分の審美眼の中核…つまり性癖になっているのではないか。

 上記のドラマはないわ〜過ぎて失格して、今は地雷認定している。そして2001年当時のレースで一番ヤバかったのが、たまたま閃ハサだったと。さらに世界観設定とかが倫理のチキンレース関係なく普通に好きだったため、私はその後他のガンダム作品も見始めたんだろう。

 シリアルキラーと勝負して勝てるガンダム。性癖というフィールドでなら互角に戦えたなんて、知らんかった。どうでもよいが今この記事を書きながら、10代のころに自分の性癖のポリシーみたいなものが完成してしまい、今も相変わらずそれを運用しながら生きてることを痛感した。

 まあなんかそんなかんじで、閃ハサは巨大ロボットアニメのガワを借りて別の性癖を猛烈にアピールしてくる。ここで不意を突かれてガンダム沼に落ちてしまう人間が居ても、全然おかしくないことは分かる。

 心の闇にフォーカスした作品を愛好しているタイプの人間がSFも好きだったりしたら、ストライクゾーンに入りうる。しかも、この主人公は過去の作品に脇役として度々登場しているため、過去のシリーズ作品を見るためのきっかけにもなり得る。個人の感想だけど、それが実感としてメッチャわかりすぎる。

 そういう側面だけ書き出すと、今回の映画化も公式サイドで意外とスムーズに話が進んだのかもしれないと思ってしまうが…正直何がどうなってこれの映画化が決まったのか、一度ガンオタになってから考え始めるとなかなか理解できないのだった。

 その後私はゼロ年代の中ごろに『ガンダム・センチネル』にドハマリしてしまい、興奮して周囲にセンチネルの話をしまくったりした。センチネルの好きなところは普通に説明できる。*6でも閃ハサについてはこれがドチャクソ性癖でした、ゲヘヘ…としか言いようがないため、あまり人前で推し作品はこれですと言ったことが無かった。映画がすごくよかったんですよ!と今年は言って回っているが、それ以前だと普通のオタク同士の雑談からガンダムの話題になったとき、閃ハサ推してます!という話はとてもできなかったんだよな…。

 

 ここから先は原作上巻と映画のネタバレが多少あります。

 

f:id:Coboler:20210828173133j:plain

2012年撮影。ゼロ年代の中ごろに発売されたΞガンダムのフィギュアは、プロポーションが主人公機っぽかった

 分かったような、分からなかったような気にはなった。

 ここまで書いてみて、世間ではキャラクターの人間関係が面白いと言われている作品なのに、そういうところに全く関心がないままだったことに気がついた。ツイッターで言われてて、今年初めてそういう見方に気がついたくらいだ。とにかくガンダムには多様な楽しみ方があることはよく分かったので、映画の具体的な感想の話に移りたい。

映画とその先の話

 閃ハサ映画が公開された頃に皆が意図的に避けていた真のネタバレって、実はこの映画が3部作の1本目であることだと思う。ドゥニ・ヴィルヌーヴの『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021)が2部作の1本目であることとかも、映画の冒頭まで内緒にされてるっぽいよな…!その騙してでも映画館で見てもらいたい気持ち、わかる。

ノローグの違和感

 今回の閃ハサ映画は、モノローグが印象的だ。モノローグの多さからデイヴィッド・リンチの『デューン/砂の惑星』(1984)みたいだと言っている感想を見かけたが、私も同じことを思った。いろんな人の心の声が多すぎる『デューン』ほどの違和感はないが、モノローグに引っかかる映画だと思える。

 ハサウェイのモノローグは、時々感情移入の限界を突破して理解不能な領域に入っていく。判断基準や価値観がどうしようもなく歪んでいて、こいつは主人公だけどラスボスでもあるんだよな〜と思わされる。推せるわ〜。

ハサウェイ「この事態を引き起こしたのは 僕の甘さなんだ アナハイムからの帰還にハサウェイ・ノアという名でハウンゼンを利用したのも 最後に閣僚たちの顔を見ておきたいというアイデアを諦められなかったからだ それが今みんなを危険にさらしている そうだねクェス それが君の答えなら 僕は代わるよ 変えてみせるよ マフティー・ナビーユ・エリンに」

 カーゴ・ピサのシーンのモノローグは初めて見たとき、とても気味が悪かった。ファンとしてこんなことを書くと誤解されそうで遺憾なんじゃが、やっぱり何回見ても気味が悪いと思える。これ以上感情移入しなくていいですと、本人から突っぱねられたような気持ちになれて、dopeでillな良さがある。ここはマイナスの感情が得られる加点ポイントなんだよ!!こんなシーンが映画で新しく追加されてしまうと、マフティーのやりかたには賛同できんけど軍資金だけ貢がせてくれなどと喜びのあまり叫びそうになる。

 映画では幻覚幻聴シーンが強化され、より内面に迫っている感じがする。とりあえずハサウェイは歪んでいて狂気が輝いている。その解釈は正しくて良い。しかし、モノローグの存在自体に妙な違和感がある場面は多い気がした。

 モノローグが多いのは原作をリスペクトしてる証拠なんだけど、もっと削っても良かったんじゃないかとは思った。ヴィルヌーヴ版の『DUNE』を見たら、モノローグをここまで削っても演出を工夫すれば普通の映画になるんじゃん!!と軽率に思えてしまったからだ…。*7

 今回の閃ハサ映画は後半になるにつれて場面の洗練された感じが無くなっていって、ちょっと散漫になっている気もする。小説から映画になりきれていない側面はあるのかもしれなくて、そこは残念だと感じてしまう。

 でもな、そんなことを言えてしまうのは本編を見ていない間だけでな、ブルーレイを見はじめると映像の圧倒的なパワーにねじ伏せられて感動してしまうんよ。もう私にはこの映画をどうこう論評できるような正気が残っとらんのだわ!…そんな無力感を覚えたりしたが、せっかくなのでこの段落も消さずに残しておく。

しんどみエンジンのギアチェンジ

 閃ハサ原作本を読み始めた時に想定外だった要素がある。読んでてしんどくなるってことだ。結末を聞いただけでは、これほどとは想像がつかなかった。本当だ。

 マフティー・エリンがぽっと出のキャラクターならそれで終わりなんだけど、成れの果ての姿であることを強制的に分からせてくれたのが2部の仮タイトルだった。

 言葉で人を殺すことができる!たった8文字なのにこの破壊力!さすが公式はよく分かっておられる!ブライトさんのことは考えないようにしてたのに〜!とフィクションのしんどみを感じすぎて、泣き寝入りができそうなネーミングだ。そして2部はこうなるんじゃないかという予想をツイッターで見かけて、しんどいどころではない恐怖を感じた。

 閃ハサ原作が発表されてから約30年の間に、新しいガンダム作品が色々と作られた。そして新しい設定も生えてきたらしい。その辺を今度の映画に取り入れることによって、しんどみのギアが数段上がってくると想像がついてしまうのだ。

 車はもう走り出している。しんどみエンジンのギアをこのまま上げ続けていったら、トップギアで目的地に正面衝突するだろう。しかも今後、助手席の下からニトロ加速装置のボンベが出てくるかのごときサプライズで、しんどみがアクセラレーションするかもしれん。もうわしは助からねぇ!!ここに救急病院を建てよう!!元々はこんなしんどさを感じるために読み始めたわけじゃなかったのにー!つれぇ!つれぇよ〜!倫理のチキンレースでギリギリを攻めるというより、もう絶対にお前の情緒を破壊して軽くトラウマにしてやるぞと宣言された気になってまう!それでもそんな続編が、とっても楽しみなんだ…!

 そしたらそんなしんどみとは無関係にインターネットミームとして大流行したり、公式が謎コラボを始めたりして、何が何だかわからなくなった。同じガンダム沼の住人から後ろ指さされるような作品だと思ってひそかに愛好していたら突如映画化されて、打首獄門だけだった推しの量刑に市中引き回しが追加されたような気分だ!どうしてこうなった~!でも好き~~~!!!

おわりに

 閃ハサの魅力はしんどさとは別のところにあるはずだったんだけど、こういうストーリーだからしんどさまで含めて好きって認識になっていくのか。つれぇ。性癖がねじ曲げられて思考と感情をハックされてる気がしてきた。ああ~!今、半泣き状態でこの文章を書いているんだけど、これでだいたい自分の中で結論が出たと思えたので、思い出話をして終わろう。

 中学生のころ、わし閃ハサ好きなんや…とエリートガンオタの同級生・Yちゃんにカミングアウトした。

 後日Yちゃんはにやにやしながら、カセットテープを貸してくれた。まあ聞いてみ…とだけ言いながら。

 そのカセットに入っていた謎のコンテンツ『こちらマッケンジー探偵社』が、YouTubeSpotifyで配信されていたことを今年知った。


www.youtube.com

 久しぶりに聞いてみたら、これが公式から供給されることの意味を考えすぎてメンタルの具合が一層わるくなった。多分、深い意味は無いんだろう。しんどい時には2次創作しろっていうけど、公式からこういうのをお出しされると、もう感情が…わやになるんですわ。おえん、おえんでこんなん。

 『ラ・ラ・ランド』で予習してから『ブレードランナー2049』を見た時みたいなパラレルワールドのしんどさを感じて、とてもつれぇ。中学生の頃は深く考えずに楽しめたけど、きっと今の私はYちゃんの思惑どおりのリアクションをしているんだと思う。このしんどみに癒やされて、楽になりてぇ。

*1:バジェット(予算)がデカい映画

*2:同じproject itohで村瀬修功監督の過去作品ということで、『虐殺器官』も見たんだけど、これは個人的にはハイジャック犯のピエロが撃たれるシーンの延長線上にある映画って感じだった。『スターシップ・トゥルーパーズ』を見てエキサイトしてる私みたいなタイプの映画オタクなら、見といて損はない殺戮名場面が多かったと思う。

*3:たとえば運転中に国道の黄色いセンターラインを見て、これは推しカラーなのでは…?と思ってしまう。BSで放送された『ネバーエンディング・ストーリー』(1984)を録画したが、アバンタイトルで子役の名前が出た瞬間に発狂しそうな予感がして怖くなり、結局見ないまま消す。プ■レスリング・ノアという名前を聞いた瞬間にあのシーンが思い浮かんでしまい、もうこの団体の試合見れない…!と思って絶望する等、色々なことがあった。

*4:Ξガンダムを生産するために、ゲーム開始時点の戦力でも頑張って閃ハサのステージを最初に攻略した方が良い的なことまで、攻略本には書いてあったような気がする。序盤のステージに投入するには強すぎるこのゲームバランス破壊パワーを得るために、あのストーリーを心を無にして一番に攻略しろってことだ。得られる力に対して、必要なメンタルの代償がだいぶデカいのではないか。この攻略法を思いついたヤツ、誰か知らんけどなかなか人の心がなくて良いな。

*5:Force choke | Wookieepedia | Fandom

*6:センチネルが好きですって飲み会で周囲に言いまくった結果がこの記事だ。嬉しすぎて、文章のテンションがあまりにも高い。

daitokaiokayama.hatenablog.com

*7:リンチ版は色々無理をしているので仕方ないんだけど、画面の映えが素晴らしいのでこれはこれで好きです!

BLセッションをするときは、必ずプレイヤーの地雷についてリサーチするんやで。せんかったら死ぬで。(ブログ主からのメッセージ)